映画「ククルス・ドアンの島」の主題歌『Ubugoe』を森口博子さん(53)が歌われます!結婚や彼氏も気になりますが、今や「ガンダム姉さん」「ガンダムの女神」となられる迄の経歴を振り返ってみたいと思います。
こちらの写真は森口博子さんが、古谷徹さん(アムロ・レイ役)とνガンダムをご紹介されているイベントの様子です。
森口博子とは?
今やガンダムファンにとっては無くてはならない存在である森口博子さんですが、元々はアイドルとしてデビューされたのを覚えていますか?或いは、知っていましたか?
プロフィール
- 本名 花村博美(はなむら ひろみ)
- 生年月日 1968年6月13日
- 出身地 福岡県福岡市
- 血液型 A型
- 身長 158cm
- 体重 43kg
- 3サイズ B80 W59 H86
- 靴サイズ 23cm
- 所属 ノーリーズン(元、第一プログループ)
- 学歴 福岡県立福岡中高高校 → 堀越高校芸能コースへ転校
- 趣味 プロ野球観戦、ゴルフ、バドミントン、写真、陶芸、映画鑑賞、音楽鑑賞
- 特技 モノマネ、手品、ウクレレ
アイドル黄金時代
1980年代は正に「アイドル黄金時代」でした。毎年のようにアイドルがデビューし、そして敗者はただ消えゆくのみ・・・。
森口博子さんもその激戦の時代である1985年にアイドルとしてデビューしました。
ちなみに森口博子の同期は、
- 南野陽子
- 中山美穂
- 斉藤由貴
- 浅香唯
- 本田美奈子
- 松本典子
- 大西結花
- 森川美穂
- 芳本美代子
- 井森美幸
俗にいう「アイドル四天王」や名だたるアイドルが1985年にデビューしています。
アイドル歌手デビュー
森口博子さんは中学生の時から福岡のスクールメイツに所属し、レッスンを受けながら80年代のアイドルのバックダンサーをしていました。
100個以上のオーディションを受けるも落選し続けましたが、NHK『勝ち抜き歌謡天国』で準優勝したことがきっかけでデビューに繋がりました。
そして1985年、今や伝説となった『水の星に愛をこめて』(機動戦士Zガンダム後期OP)でアイドル歌手としてデビューを果たしました。オリコンランキングも16位とスマッシュヒットとなりアイドルの仲間入りに。
ちなみにこの曲はあの世界的に有名な「ニール・セダカ」さんが一から作曲されたことでも話題となりました。
筆者は彼の「恋の片道切符」や「カレンダーガール」が好きでよく聞いていたので、ガンダムの主題歌を作曲された時はビックリでした!
ちなみに余談ですが、機動戦士Zガンダムの前期OPとエンディング曲も彼の作曲です(ただし、彼の昔の曲に日本語訳をつけただけ)。
しかし、それからはアイドル歌手としては人気が全くでず、アニメ『鎧伝サムライトルーパー』の後期テーマ曲『サムライハート』がアニメファンの間で騒がれたぐらいで(オリコン88位)、歌手としては絶望的でした。
アイドル歌手として失敗した理由?
デビューした時期が悪かった
一番の理由は何といっても、同期に凄すぎるアイドルが多すぎたことになります。
その中で、勝ち残るのは例え森口博子さんでも無理だったでしょう。
アニメの主題歌がデビュー曲だった
それと、売り出し方が問題だったと言われています。
今の感覚だと、「ガンダムの主題歌を歌う」というのは大変名誉なことで、GACKTさんやTMレボリューションの西川貴教さんのような一流ミュージシャンがこぞって手を挙げるような人気のあることになってます。
でも、1980年代は、「アニメ=一部のアニメオタク」のものであったため、アイドルがその主題歌を歌うことはマイナスでしかなかったのです。
森口博子さんの歌唱力
今、改めて当時の歌声を聞くと「段違いに上手い」です。とても17歳のレベルではないです!末恐ろしい・・・。
「えっ、じゃあ売れるんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、当時のアイドルの売り出し方としては不正解だったのです。
さてここでご質問ですが、多くのアイドルの中で、「アイドルの中のアイドル」と言えば誰の名前を挙げますか?
筆者は個人的に「南野陽子!」と叫びたいですが、それでもあえて言おう、「松田聖子」であると。色々な見方や個人的な好みもあるとはいえ、「松田聖子」は正にアイドルを代表するような存在でした。
で、みなさんは「松田聖子」ってずば抜けた歌唱力だったと記憶されていますか?たぶん、覚えている方はこういうはずです、「アイドル時代はぶりっ子で歌ってたけど、アイドル卒業後は歌唱力が上がった」と。
実は、松田聖子さんは「アイドル時代はあえて上手く歌わなかった」そうです。
理由は、上手すぎるとファン心理の「守ってあげたい」が得られない、つまり人気がでないから。そこで、事務所などの方針で全力では歌わず(手を抜いたわけではない)、ぶりっ子で歌ったそうです。
このことから、森口博子さんが純粋に全力で歌ったことが、「アイドルのくせに無駄に上手すぎる」とアイドルファンの心を掴めなかったのがアイドルとして敗北した理由では無いかと推測されます。
バラドル(バラエティーアイドル)への転換
「アイドルとして売れなければ、ただ去るのみ」が当時の常識でした。もちろん所属事務所は、高校卒業を待たずして、福岡に帰るようリストラ宣告をされました。
森口博子さんは、「なんでもやりますから帰さないで」と泣きながら懇願され、事務所はバラエティ番組の企画で「雄ロバを口説いてきなさい」という仕事を与えられました。
オリコン16位でデビューしたアイドルがするような仕事ではありませんでしたが、「全国の人に顔を覚えてもらいたい!」という信念からバラエティの仕事を一生懸命されました(実際、見てたのでその真剣さは覚えています)。
この姿勢が評価されたのか、クイズ番組やバラエティ番組の仕事が増えていき、トーク力を磨いていくことになりました。
そして時代は元アイドルの山瀬まみ、井森美幸、松本明子などが築いたバラドルブームとなり、森口博子さんもその一角を占めるようになりました。
『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)では工藤静香さんのものまねで優勝し、写真集も出せば売れるという、人気バラドルとして時代を築いたのです。
更には、『笑っていいとも!』に1989年から1997年までレギュラーとして出演され、タモリさんが同じ福岡の同じ中学出身ということもあり、よく相談をしてアドバイスをいただいていたそうです。
ガンダム、再び・・・
1991年はサンライズにとって、バンダイにとって、ガンダム関係者にとって、節目の年でした。
1988年の映画『逆襲のシャア』の大ヒットも過去のものとなり、「もうガンダムはいいや」という世間の声を覆し、何とかして再びガンダムブームを作ろうと模索している時でした(1989年の「機動戦士ガンダム 0080 ポケットの中の戦争」は初のOVAシリーズ。筆者も全巻買って見た。面白かったが世間的にはブームにならず)。
全く新しいガンダムを作る為、当時流行していたF1(フォーミュラー1)の人気に便乗する為、ガンダムに「F」を付けることになりました(今では考えられないですが当時ガンダムにブランド力は無く、他の力を借りないといけなかったのです)。
そして安直にも1991年だからと、映画のタイトルは『機動戦士ガンダムF91』となったのです(これには当時、正直引きました。ガンダムになんてことを・・・)。
更にガンダムにブランド力を足す為に、白羽の矢が立ったのが他ならぬ森口博子さんでした。
バラドルとして人気を博していた森口博子さんの人気は当時のガンダムとしては是非欲しい力でもありました。
そして何より、彼女の歌唱力こそが必要だったのです。
アイドルとして出した曲として『水の星に愛をこめて』は決して成功ではありませんでしたが、当時アニメの市民権がほとんど無かった時代に、アニメ主題歌がオリコンで16位を取るということがいかに凄かったことか!
つまり、アニメ業界としてはこんな逸材をほっておくはずが無かったのです。
そして主題歌の『ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜』を歌うことになり、森口博子さん最大のヒット曲(オリコン9位)となったのです。余談ですが、筆者もCDを買ったので貢献しています。
これにより、バラドル森口博子は、歌手として脚光を浴びることとなりました。
ちなみに余談ですが、映画の方は大ヒットとまではいかず(ガンダムF91の続編でテレビシリーズ放送も計画していたが中止に)、更なる迷走へといくことになるのですがここでは割愛致します。
紅白歌手、冠番組
ガンダムの主題歌で歌手として認知度があがった森口博子さんは、なんと遂に紅白出場にまでたどり着きました。
なんと、1991~1996年まで『NHK紅白歌合戦』に6年連続出場されたのです。
CDシングルも、『スピード』(1992年)(オリコン15位)や『ホイッスル』(1993年)(オリコン10位)と売れました。
更には、森口博子さんの冠番組『夢がMORIMORI』(1992~1995年)で大人気芸能人になりました。主題歌の『夢がMORIMORI』(作詞:秋元康)も歌われてバラドルとして頂点を極めたといっても過言ではないです。
ちなみにこの番組は森口博子さんと森脇健司さんがダブル司会で「森と森で、MORIMORI」なのですが、他のレギュラーがまだ売れる前のSMAPで、その中で一番知名度があった森且行さんも森だったことから3人でMORIMORIではとも言われていました(キムタクはブレーク前)。
ガンダムの女神、ガンダム姉さん
2016年に、「ガンダム THE ORIGIN Ⅳ」の主題歌「宇宙の彼方で」を歌われました。制作サイドは、「森口さんは“女神様”のようなポジションで歌っていただけたら。」と言われたそうで、このことからも「ガンダムの女神」と言われるようになったとか。
2018年に、「CRフィーバー 機動戦士Zガンダム」のCMソング「鳥籠の少年」を歌われました。
更にはガンダムの主題歌のみを集めたカバーアルバム、「GUNDAM SONG COVERS」(2019年)、「GUNDAM SONG COVERS 2」(2020年)、「GUNDAM SONG COVERS 3」(2022年)を出されたことから、ますます森口博子さんのガンダム愛が世間に広まりました(筆者はすべて入手し、運転中に聞いてます)。
そして、2022年、映画「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」の主題歌「Ubugoe」を歌われることになりました。
このように長年ガンダムの主題歌を歌い続けてこられたことから、「ガンダム姉さん」としてガンダムファンからも絶大な人気を誇ることになったのです。
森口博子さん、結婚や彼氏は?
結婚しない理由?
森口博子さんは幼い頃にご両親が離婚されていて、お母さんが一人で4人姉妹を育てられてそうです。
そんな苦労した母親と、森口博子さんは今も同居されているので、それも結婚しない理由の一つではと言われています。
他にも色々な理由がウワサされています。
- シンブルマザーの環境で育ち、母親が恋愛を含めた私生活全般に非常に厳しかった。結果、恋愛下手になったとか。
- 潔癖症過ぎてトイレの便座が座れない。用を足す時は中腰でするとか。
- 完璧主義者で、結婚相手にもそれを求めているから。
- 何よりも「喉のケア」を優先する生活スタイルの為(エアコンもしょっちゅうオン・オフ)。結婚相手にもそれを求めるから、合わせられる人がいないとか。
- 仕事中心の生活(売れてない時代が長かったので)で、束縛してくる相手とは結婚できないから。
ただ、本人は結婚願望自体はあるようですので、まだまだこの先結婚される可能性はあります。
元彼氏は?
吉井和哉(イエローモンキー)
1995年頃、森口博子さんが司会をしていた音楽番組『ポップジャム』(NHK)に、吉井和哉さんがゲスト主演されたことがきっかけで交際が始まったとウワサされていました。
『笑っていいとも!』でも、タモリさんが森口博子さんに吉井和哉さんとの熱愛疑惑をいじったりと、ウワサは本当では?という感じではありました。
ただ、その後、吉井和哉さんがこの熱愛報道をラジオ番組で否定し、マスコミに対してデタラメを書くなと非難したことでウワサは消えてしまいました。
プロポーズをした人
森口博子さんは今まで交際されたことはありますが、その中でも交際中の男性にプロポーズまでされたことがあるそうです。
しかし、結婚の条件が、
仕事を辞めて家庭に入ること
だったそうで、仕事熱心の森口博子さんがその条件を受けることはできず、プロポーズを断ったそうです。
これも時代が違うので、一概に男性を責めることはできませんが、本当に森口博子さんのことを理解しているならば、このような条件を出すべきでは無かったですよね?
今回の映画で、また森口博子さんが大注目を浴びることになりますので、もしかしたらどなたか包容力のある男性(ガンダムマニア)との出会いがあるかもしれませんね。
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