大泉洋さんがヤクルトのCMで名曲『ハナミズキ』をカバーして歌っていますが非常に上手いと話題です。しかし最初から歌唱力があったわけでなく、最初に歌った『Anniversary Song』はまあ正直なところ下手でしたね。
では一体どのように歌唱力が成長していったのか?我らが洋ちゃんのCDデビュー前までを振り返ってみたいと思います。
テレビで初めて歌った曲「Anniversary Song」(1997年)
大泉さんの古参ファンにとっては、やはり「Anniversary Song」こそがテレビで初めて本格的に歌った曲として覚えておられると思います。
その後、CDデビューやらで本物の歌手になってからしか知らない方は「大泉洋って歌、上手すぎるね!」って言っていますが、最初はほんと「素人に毛が生えた」レベルでした。
聞いてる方が不安になるような歌唱力でしたが、なんかでも、最後まで聞こうかなと思わせるのは「歌手大泉洋」の片鱗が感じられるのは言いすぎでしょうか?
では、まずこちらをお聞きください。
いかがでしたでしょうか?
これは『水曜どうでしょう』の「サイコロ3 〜自律神経完全破壊〜」(1997年4月放送)の中で、大泉さんが歌う機会を与えられました。
番組恒例の大泉さんをだます為の企画の中で、最初に鈴井さんがやっているラジオ番組『GO・I・S』の密着取材という偽企画で藤村Dが大泉さんをスタジオに連れていきます。
はしゃぐ大泉さんですが、そのラジオ番組にはゲストで樋口了一さんが出演されていました。その番組内で、「翌日樋口さんの自宅に訪問するという」流れにもっていきます。もちらん大泉さんも一緒に。
樋口さんはプロのミュージシャンで川崎市高津区のご自宅もそういう雰囲気でしたし、当時樋口さんが所属していた「東芝EMI」の「Studio TERRA」へも取材に行かせて頂けることになりました。
その際、大泉さんは折角だから本物のスタジオで一曲歌ってみたらという流れで、前述の樋口さんの曲「Anniversary Song」を本格的なレコーディングという形で歌うことになりました。
当時、大泉さんは24歳、この時点では歌手としての素質はほぼ皆無でしたね・・・。
その後は、例のごとくこれから「サイコロの旅」と言われ、大泉さんはまたしてもだまされたという・・・。
歌唱力が成長するポテンシャルが見えていた?
現在、大泉さんは49歳、最初にテレビで歌ったのが24歳ですから四半世紀が過ぎました。
その過程で、CDデビューもされたり、歌番組にも出たりと今や歌手としても実力派と一部では言われています。
しかし、前項でもお聞きいただいたように最初は決してお世辞にも上手いとは言えないレベルでした。
役者としては元々演劇を希望していたので、成長していき今や国民的大俳優と言っても過言じゃない方になられましたが、歌はどのようにして伸びていったのでしょうか?
実は、「水曜どうでしょう」の中でその片鱗を垣間見れるエピソードがいくつかありましたので、以下サブタイトルはすべて「水曜どうでしょう」の企画タイトルになります。
十勝二十番勝負 (1998年6月)
今や北海道を代表するタレント第1位にまで登り詰めた大泉さん。しかし、一番長く北海道の顔とまで言われたタレントは間違いなく「松山千春」さんでしょう。
圧倒的な歌唱力、心にしみる歌、そして存在感・・・、どれをとっても超一流タレントです。
もちろん大泉さんも松山千春の大ファンであり、道民の心の拠り所でしょう。
「十勝二十番勝負」での移動中、思わず口ずさむシーンが何度かありました。
- 「君のために作った歌」
- 「大空と大地の中で」
- 「君を忘れない」
この時は思わず、「おお、いいね~」というレベルの歌でしたね。
合衆国横断~北米大陸 3750マイル~ (1999年4~5月)
この時はワンフレーズだけだったのですが、印象深いのでご紹介します。
「ワゴ~ン~、マスター、急げよ幌馬車~」を何度か口ずさんでいました。大泉さんはこのフレーズしか覚えていないようでしたので、これを何度が歌っていました。
この時感じたのは、歌が上手いというよりは、(オリジナルは知らないけれど)元々の歌を上手く再現されているなという感じでした。
つまり、大泉さんはものまねが得意で、耳がかなりいいのではという印象でした。
~甘いもの国取り物語~対決列島 (2001年6~9月)
個人的に一番好きな企画です(甘いもの大好きなので)。藤村Dがやりたいことを具現化した企画で、鈴井さんが企画会議に参加していなかった為、途中でルールや日程を何度も修正しながら進んでいったという他では考えられない展開です。
旅の途中、サービスエリアでカセットテープを買ってきて車内で流しながら、それを大泉さんが歌うという展開になりました。
最初は「松田聖子」さんでこれはまあまあ上手く歌っていましたが、特筆すべきは「小林旭ベストヒット全曲集2」を流して歌った時ですね。
まず、鈴井さんや藤村Dの世代(大泉さんより10歳ほど上)でも懐かしいかどうか微妙なところなのに、大泉さんがこれを選び、しかも知っているという(大泉洋年齢疑惑)ことでまわりが驚きました。
そして「自動車ショー歌」が元々の歌詞の凄さと大泉さんの小林旭ばりの歌い方で車内は大爆笑!ついには「水曜どうでしょう」のエンディング曲にも採用されるぐらいでした(対決列島の後半放送全部)。
これは大泉さんが番組を盛り上げる為にやったとはいえ、その歌い方が本物を連想させるレベルのものまねだったことが大きいですね。
ちなみに余談ですが、この放送の影響で本家、小林旭さんもこの歌を歌う機会がかなり増えたとか。
四国八十八ヶ所III (2002年3~4月)
おなじみ四国八十八か所をわずか3,4日でまわるという過酷な旅です。
ここでは、歌というよりは大泉さんのものまね力、聴力が凄まじいということを確認したいと思います。
企画中、何度が大泉さんは西川きよし師匠のものまねでしゃべる機会がありました。
その大阪弁が大阪人が聞いても「キッショ」とならないレベルなのです。ほぼネイティブかといううまさなのです。ちなみに大泉さんは北海道出身ですから、大阪とは縁もゆかりもありません。
えっ、なんでこれが関係あるの?と思う方に。
ご存じの方もいるかもしれませんが、関西弁(大阪弁や京都弁など)は他の都道府県とはイントネーションが逆でまねることが非常に難しい、ややもすれば不可能とまで言われています。
有名なエピソードでアニメ「名探偵コナン」で、関西弁をしゃべる「服部平次」と「遠山和葉」の声優さんを決める時、声優さんは関西出身でないとダメとなったくらいです。
実際、服部平次は堀川りょうさん(大阪府枚方市出身)で、遠山和葉は宮村優子さん(兵庫県神戸市出身)と関西出身声優さんになっています。
一流の声優さんですら、関西弁は関西出身者というのが求められているぐらい、関西弁は他府県者にはまねできないのです。
しかし、大泉さんはそれをやってのけてしまいました・・・。この時、末恐ろしい耳・・・と感じたのは筆者だけではないでしょう。完コピできる耳は、歌唱力の成長にとって何より大事ですからね。
その後は歌手としても注目
2001年12月には「愛の言葉」、2004年には「本日のスープ」(スターダストレビューと一緒に)など本格的な歌手としての道も歩み始められました。
このころから、大泉洋は歌が上手いといわれるようになってきました。
しかし、どうでしょうファンはそれ以前から気づいていたとも言われています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、「大泉洋は歌が上手い!元々は下手だった?成長していく歌唱力!」をご紹介させて頂きました。
あらためて振り返ると大泉さんって、最初は何もできなかったんですよね~。それが絶え間ない努力とチャレンジ精神で与えられて機会を無駄にしなかったことが、今のスーパースター?大泉洋を作り上げたのでしょう!