ジャニーズ事務所の中でも歌・ダンス、演技とマルチな才能を持つ「Sexy Zone」(セクゾ)の菊池風磨さんですが、父親譲りの才能だったと言われています。嵐や他のジャニーズグループに楽曲提供をした父親・菊池常利さんについてご紹介致します。
嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞担当!
「Sexy Zone」(セクゾ)の菊池風磨さんの父親である菊池常利(つねとし)さんは嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞を担当されました。
「A・RA・SHI」の作詞には「J&T」という名義で楽曲提供をされています。
「A・RA・SHI」は非常にノリのいい曲で、デビューした時も「嵐、いい曲もらったね~」と喜んでいました。
この曲は世に出た時も「嵐旋風」を巻き起こしましたが、その後もずっと歌い続けられる代表曲になりましたね。
若い時の嵐だけでなく、30前後になっても歌える曲を提供した菊池常利さんとはどういう方なのでしょうか?
菊池常利とは?
菊池常利さんはとてもイケメンな顔をされています。
息子の菊池風磨さんによく似ていますね。
菊池風磨さんのルックスは父親譲りのようです。
菊池常利さんの簡単なプロフィールをご紹介致します。
プロフィール
- 生年月日 1965年3月9日
- 年齢 57歳(2022年8月時点)
- 出身地 神奈川県横浜市
- 出身高校 棚倉高等学校
- 職業 シンガーソングライター、作詞・作曲家
菊池常利さんは高校卒業後は、「美容師専門学校」に進学されたようです。
その後、国家資格の「美容師免許」まで取得されました。
免許取得後は、美容師として働いていたようです。
フォークデュオグループ「LA-LA Deux」(ララドゥ)
菊池常利さんは吉川正巳さんと「LA-LA Deux」(ララドゥ)というフォークデュオグループを1989年に結成されました。
そして、1990年には「ヴェンタインレコード」からデビューアルバム「Dear!LA-LA Deux」でインディーズデビューを果たしています。
2001年に解散後、二人は別々の道を歩みだしました。
それでも根強いファンの声に答えるべく、ベスト・アルバム「LA-LA REMIX」を2003年に発売し活動は完全に終了しました。
ジャニーズグループへの楽曲提供の経緯は?
2001年の「LA-LA Deux」(ララドゥ)解散の理由となったのが、
吉川正巳さんがジャニーズ事務所のプロデューサー
になったことが原因です。
解散後は、
菊池常利さんはシンガーソングライター
吉川正巳さんは音楽プロデューサー
となりました。
菊池常利さんがジャニーズ事務所に楽曲提供する流れになったのは明確な理由は明かされてはいませんが、
吉川正巳さんがジャニーズ事務所のプロデューサーになった
ことが大きな要因の一つだと言われています。
ちなみに、菊池常利さんは「TWUNE」(つね)という愛称で呼ばれており、嵐の「A・RA・SHI」以降の楽曲提供は「TWUNE」で行われています。
菊池常利さんは、他のジャニーズタレントにも楽曲提供をしています。
- TOKIO:「Only One Song」、「Nice Guys」(作詞・作曲担当)
- 滝沢秀明:「under world」(作詞・作曲担当)
- 今井翼:「2nd face」(作詞・作曲担当)
- 菊池風磨:「Cocoa」(作曲担当)
ちなみに「Cocoa」の作詞担当は菊池風磨さんご自身ですので、何とこの曲は父と息子の共同制作ということになります。