羽生結弦選手がフィギュアスケートのアマチュアからの引退を発表されました。オリンピック金メダル2連覇や国民栄誉賞受賞など輝かしいをお持ちです。プロへの転向後、ご自身主催のアイスショーや更なる東日本大震災復興支援活動がウワサされています。
それでは具体的にどのような活動をプロスケーターとしてされていくのでしょうか?
フィギュアスケートのアマチュアとプロの違いもご説明いたします。
羽生結弦、引退への足跡
羽生結弦選手が、フィギュアスケートのアマチュア界からの引退を発表されました。
現役引退後は、プロへ転向するとウワサされています。
まずは、羽生結弦選手の簡単なプロフィールを改めて見てみたいと思います。
プロフィール
- 生年月日 1994年12月7日
- 年齢 27歳(2022年7月時点)
- 出身地 宮城県仙台市泉区
- 身長 172㎝
- 体重 57㎏
- 血液型 B型
- 出身高校 東北高等学校
- 出身大学 早稲田大学
輝かしい経歴(一部抜粋)
羽生結弦選手は、あまりに多くの記録を残し、大きな目標へ挑戦する姿に、日本だけでなく世界レベルで感動の渦を巻き起こしましたね。
そんな彼の輝かしい、フィギュアスケート男子シングルの経歴の一部をご紹介いたします。
- 2014年 ソチオリンピック 金メダル(アジア人男性初)
- 2018年 平昌オリンピック 金メダル(アジア人男性初、66年ぶり2連覇)
- 2022年 北京オリンピック 4位
他には、
- 世界ジュニア選手権(2010年) 金メダル
- 世界選手権(2012~2021年) 金メダル2つ、銀メダル3つ、銅メダル2つ
- ジュニアグランプリファイナル(2009年) 金メダル
- グランプリファイナル(2012~2019年) 金メダル4つ、銀メダル2つ
- 四大陸選手権(2011~2020年) 金メダル1つ、銀メダル2つ
このような輝かしいメダル獲得の歴史だけでなく、前人未到の
に挑戦し続ける、飽くなき向上心が多くの人を勇気づけてきました。
また、若干23歳にして
を受賞されるなど、素晴らしい経歴をお持ちです。
引退へのプロローグ
2022年の北京オリンピックでは、惜しくも4位という結果になりメダル獲得はなりませんでした。
この時の会見で、羽生結弦選手は、
「これからも大好きなスケートを大切に極めていきたい」
「フィールドは問わない」
と答えられていて、
「これからも大好きなスケートを大切に極めていきたい」⇒ スケートは続ける
「フィールドは問わない」⇒ アマチュア引退でプロへ転向?
と推測され、この頃から既に引退するのでは無いかとウワサされていました。
アマチュアとプロの違い
羽生結弦選手は、アマチュアを引退後、プロスケーターへ転向すると言われていますね。
ここで「引退」といわれているのが、プロスポーツの「引退」とは異なり、
という意味で使われています。
アマチュアの定義
「アマチュア」とは正に、本来は「素人」の意味ですが、フィギュアスケートのような競技の場合は、
状態のことを指します。
つまり競技でお金を稼いでいないので、
国際スケート連盟に選手登録できる
オリンピックや世界選手権なでの大会への出場資格がある
となります。
プロの定義
「プロ」とは「プロフェッショナル」の略ですが、競技レベルがプロという意味ではなく、
ことを指しています。
羽生結弦選手の競技レベルは既に世界的なプロレベルですから、プロ転向とは競技でお金を稼ぐことを指します。
プロスケーターに転向すると、
国際スケート連盟の選手登録解除(引退)
オリンピックや世界選手権なでの大会への出場資格がない
という状態になります。
プロスケーターはプロ野球選手などと同様に、「個人事業主」になります。
羽生結弦、プロ転向後の活動内容は?
羽生結弦選手はプロスケーターになった場合、どのような活動内容があるのでしょうか?
プロ転向したフィギュアスケート選手
アマチュアフィギュアスケート選手を「引退」後、プロに転向された方は何名かおられます。
代表的な方々は、
- 安藤美姫
- 荒川静香
- 浅田舞
- 高橋大輔
- 織田信成
と名立たるメンバーですね。
みなさん、「プロスケーター」として活躍されています。
こういった方々は、
- アイスショーへの出演
- 解説者
- タレント
- コーチ
- 振付師
といった活動をされています。
羽生結弦の場合は?
羽生結弦選手はどういった活動をされていくのでしょうか?
人気・知名度・ルックスを考えると、タレントとして活動しても大成功する予感がしますよね?
現時点では、明確な活動内容は公表されていません。
ただ、ご本人が今までになされてきた活動を考えますと、
プロスケーターとして東日本大震災復興支援
へのさらなる貢献ではないかと言われています。
羽生結弦選手は、2011年3月11日、「アイスリンク仙台」(仙台市)で練習中に被災されました。
この時、あまりに多くの震災被害者を目のあたりにし、
「もうスケートなんてやってる場合じゃない」
と毎日考えていましたが、
東北高校野球部(当時在学中)が
している姿に、スケートへの意欲を取り戻したそうです。
こういった経験から、羽生結弦選手のスケートへの取り組みは
誰かを勇気づける
ことへの意気込みは並々ならぬものがあるでしょう。
ましてや、東日本大震災復興支援はご本人にとっては何物にも代えられぬ活動だと思います。
それを更に拡大する為の「プロ転向」であり、一つの夢は、
ご自身が座長となったアイスショーの創設
と言われています。
プロ転向の理由は見えてきましたが、なざこのタイミングなのか?
もしかしたら、「結婚」を視野に入れたプロ転向なのではとウワサされています。