2022年9月12日、アンガールズ田中卓志さんの最愛の母が亡くなっていた事が報道されました。バラエティ番組にも出演されていた母・三枝子さん、弁当対決で最下位も田中さんが熱く擁護していたのには感動しました。母の最期の願いも紹介致します。
お母さまが亡くなられた病気はガンでしたが、延命治療を拒否していた理由は?いつ頃亡くなられたのかもご紹介致します。
アンガールズ田中の母親・三枝子の訃報
2022年9月12日、アンガールズ田中卓志さんの「最愛の母親である田中三枝子さんが亡くなられていた」という事がニュースで報道されました。
田中三枝子さん
母親の田中三枝子さんは、何度もバラエティー番組に出演されていました(息子の為に)。
そして、お茶目で優しい人柄に視聴者もほっこりとしていました。
また、キモイと言われていたアンガールズ田中卓志さんですが、このお母さまを見てからは・・・
彼女ができて、結婚して、孫の顔を見せてあげて!
と思うようになってきましたね。
母の弁当対決
バラエティー番組「はねるのトびら」の企画で「母子弁当対決」があり、アンガールズ田中卓志さんの母親・田中三枝子さんも出演されました。
結果、田中三枝子の弁当は「最下位」になりました。
理由の一つとして、小森純さんが・・・
「冷凍食品のから揚げ入れるって、ちょっと愛情が足りないです」
と述べていました。
これを聞いた、母親の田中三枝子さんは落ち込んで泣いてしまいました・・・
この時、アンガールズ田中卓志さんは心底激怒し・・・
「いいだろ、別に!(冷凍食品使ったたって)」
「うちのお母さんは看護師やってて、夜勤とかで不規則なシフトで疲れてるから、冷凍食品も入るんだよ!」
と小森純さんに対して反論し、そして、
「それがなんでダメなんだ!」
「見ろ!母ちゃん、うまいぞ!」
と叫びながら弁当を食べました。
母親の田中三枝子さんは、子供が3人おられたので、毎日3人分のお弁当を作っていたそうです。
この企画は実際見ていましたが、世の風潮として、
みたいな状況での出来事でしたので、よく覚えています。
まあ、実際に弁当を毎日作った経験がある人ならわかりますが、
冷凍食品は非常に便利で美味しい
朝、一からすべてのおかずを食材から作る時間など無い
手料理にこだわるなら、すべて一から作る必要があるが現実的には無理
と、冷凍食品を使うのは弁当作りでは当たり前ですよね。
それに、学食で昼ご飯食べても、学食も冷凍食品と食材を併用して作ってますし、
冷凍食品を使う = 愛情が無い
というのは、ちょっと納得ができません。
それよりも、アンガールズ田中卓志さんの「母親への感謝の気持ち」に思わず、グッときました。
こういうところに、彼の人の良さが出ていると思います(これ以降、世間の彼への見方が変わり、人気も若干上がったようです)。
アンガールズ田中の母親は、いつ、何歳で亡くなった?
アンガールズ田中卓志さんの母親・田中三枝子さんがお亡くなりになられたのは、いつだったのでしょうか?
2022年9月16日放送の「中居正広の金スマスペシャル」の番組内で、「アンガールズ田中卓志さんの母親・田中三枝子さん特集」があり、
に亡くなられてと公表されていました。
享年、69歳だったそうです。
1年以上も前に亡くなっていた?
アンガールズ田中卓志さんが、母親・田中三枝子さんが亡くなられたことを1年以上も発表できなかったのはなぜでしょうか?
理由としては・・・
テレビ出演があるとはいえ一般人、静かにしておきたかった
母の1回忌を待ってからにしたかった
テレビで話すからには、心の整理をつけてからにしたかった
など、アンガールズ田中卓志さんの母親への本当の愛情や思いが伝わってきますね。
人の寿命は分からないもので、病気がちの方が長生きしたり、健康な方が早くに亡くなられたり、と一概に早い・遅いとは言えません。
ただ、69歳というのは、最近の医療技術の進歩や女性の平均寿命が約88歳と言われている点から考えると、
ちょっと若くで亡くなられた
というイメージを抱いてしまいます。
となると、何か大病を患われていたのではないでしょうか?
アンガールズ田中の母親の死因は?延命治療拒否の理由
母親の死因は?
アンガールズ田中卓志さんの母親・田中三枝子さんの死因についてですが、同じく2022年9月16日放送の「中居正広の金スマスペシャル」の番組内の「アンガールズ田中卓志さんの母親・田中三枝子さん特集」で、
神経内分泌ガン(ガンの中でも極めて特殊)
だと明かされていました。
アンガールズ田中卓志さんは、この事を2021年2月に母親・田中三枝子さんから電話で直接聞いたそうです。
その時、同時に・・・
余命1年(長くても2ねん)
と知ったそうで、最愛の母親の状態に・・・
と思い立ったそうですが、コロナ禍による「緊急事態宣言」の為、県をまたいでの移動が自粛されていたので、あきらめざるを得なかったそうです・・・。
延命治療拒否の理由は?
「神経内分泌ガン」ですが、決定的な治療法は確立されていないとはいえ、「延命治療」をすることで後何年かは生きれる可能性もありました。
しかし、母親の田中三枝子さんは・・・
「もう、十分生きたから」
「このまま、延命治療とかせずに、普通にするわ」
と元看護師で医療現場に長くいた為、自分の余命が長くないことに気づいていたようです。
母との最期の数か月間・・・
そんな母親の気持ちを聞きながらも、子供としては「長生きして欲しい」と願うもの。
アンガールズ田中卓志さんは、治療方法を探す為に「国立がん研究センター」に出向き、「母親の病状とレントゲン」を持参して色々と聞いたそうです。
「国立がん研究センター」の医師も、現状の治療方法が最善としながらも、「抗がん剤治療」も勧められ、それを導入されました。
母親・田中三枝子さんが病院で治療を続けている間も、アンガールズ田中卓志さんはお見舞いに行くことができません。
電話で病状を聞いていましたが、毎回、母親・田中三枝子は・・・
といった様子だったそうです。
しかし、これは息子を心配させたくない母親の愛で、
していたそうです・・・。
2021年4月末、母親・田中三枝子さんのお姿は、治療前とは変わり果て、食事もろくに取れない状態にまで衰弱していました。
2021年5月、アンガールズ田中卓志さんのお兄さんから、
「母親が倒れた!」
との電話があったそうです。
流石に、アンガールズ田中卓志さんも居ても立っても居られなくなり、
「次の日、仕事が終わったら直ぐに帰る!」
と伝えて、その電話を切りました。しかし・・・
「その電話から、わずか2時間後、亡くなられた」
そうです・・・。
これには、アンガールズ田中卓志さんも、
「信じられない・・・」
としか思えず、それが現実とは受け入れられなかったそうです。
その後、母親の顔を見て、現実なんだと受け入れつつ、
「もうちょっと、何かしてあげられなかったかな・・・」
と力なく言葉を漏らしていたそうです。
一番の心残りは、母親・田中三枝子さんが生きているうちに、
「ありがとう」
とちゃんと伝えられなかったことだそうです。
そして、母親・田中三枝子さんの事を思い出し、
「あれぐらい周りの人をの楽しませられるようになりたい!」
と言っていました。
母親から息子への最後の願い・・・
母親・田中三枝子さんはご自身の余命が長くないと分かってからは「終活」をされていて、エンディングノートや遺影も作成されていたそうです。
そのエンディングノートには、母親から息子・アンガールズ田中卓志さんへの最後の願いが綴られていました。
早く結婚して家庭を作って下さい。
一人だとゴミ屋敷で、どうしているか心配です。
仕事は程々にして、家に帰ってきんさい。
田舎もいいですヨ。ありがとう
母より
いつまでも、息子のことが心配なのですね・・・。
母親・田中三枝子さんの最後の願いを、是非、アンガールズ田中卓志さんには叶えて頂きたいです。
現在、15年ぶりにできた彼女と真剣交際中なので、このままご結婚されることを願っています。
ちなみに、「帰ってきんさい」は広島弁で、「田舎もいいですヨ」には広島もいいよ、が込められています。
東京でのタレント活動もいいけど、広島でローカル番組をしながら、体を壊さないようなペースでの仕事をして欲しいという、母親の愛情を感じました。