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香川照之、結婚21年で元嫁の知子夫人と離婚!理由は梨園・義父介護・すれ違い・・・

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「静かなるドン」、「半沢直樹」や「六本木クラスなどで有名な俳優・香川照之さんですが、2016年12月元CAの知子さん21年の結婚生活の末、離婚されています。理由としては、梨園の世界や義父の介護、そして二人のすれ違いと言われていますが真相は如何に?

目次

香川照之の元嫁・知子夫人

1995年12月17日、香川照之さんはCA(キャビンアテンダント、この頃はスチュワーデスと呼ばれていた)の知子さんとご結婚されました。

今もそうですが、特に当時はCA(スッチー)というのは美人でスタイルが良く、頭もいいということで世の男性は魅了されていました。

なので、香川照之さんが、飲み会で知子さんに「一目惚れしてアプローチをかけた」と言われていますが、本当でしょう。

この当時は、香川照之さんと言えば、「カマキリ」でもなく、「大和田常務」でもなく、「静かなるドン」としてとても有名でした。

なので、世間は結構騒ぎましたが、お二人は順調に結婚生活をスタートされました。

その後、二人の子供を授かってからも夫婦仲は大変良く、週刊誌にも微笑ましい写真を撮られることもありました。

しかし、事態を激変させる出来事が起こるのです・・・。

香川照之と知子夫人の離婚理由は?

1995年に結婚してから、15,6年間は仲睦まじい夫婦生活でした。

知子さんは結婚後はCAを辞め、専業主婦として香川照之さんを支えつつ、家事・育児と頑張ってこられました。

しかし、2011年、香川照之さんが長年確執があった実父・市川猿翁さんと和解したことが大きな変化をもたらすことになります。

梨園の世界は非常に厳しい

この歴史的な和解により、香川照之さんの悲願であった「梨園入り」を、46歳にして果たしました。

俳優としてのキャリアも順調て、しかも確執のあった父親と和解してまでも「梨園入り」したかった理由は・・・

「市川猿之助」の名前を息子に継がせたかった

という父の息子への愛情だったのです。

歌舞伎の世界は世襲性ですので、自分が「梨園入り」しないことには息子が継げないという思いですね。

結果、

香川照之さんは「九代目 市川中車」
12歳の長男は「五代目 市川團子

として父・息子同時に「梨園入り」を果たしました。

しかし、この襲名ですが、なんと知子夫人は襲名後に知らされたそうです!

しかも、元々、知子夫人は「梨園入り」には反対だっだそうで、ここから夫婦間に亀裂が生じました。

知子夫人は40代にして、突然、円もゆかりもない世界へ飛び込まされる形になりました。

「梨園の妻」は歌舞伎の世界で歌舞伎役者を支える為に様々なしきたりをこなしていけない、非常に大変な役です。

俳優の妻として、二児の母として奮闘されてきましたが、突然「梨園の妻」という勝手のわからない仕事を40代にしてしないといけなくなるとどうなるか?

子供の送り迎えだけでも大変なのに、長男の踊りの稽古の送迎が加わるとどうなるか?

更には、長男が歌舞伎役者デビューとなると、挨拶まわりも大変です。

例えば、香川照之さんが俳優業を引退して、歌舞伎役者一本にしていれば事態はまだ多少はマシだったかもしれません。

しかし、人気俳優の為、それはできず香川照之さんは「二足の草鞋は履く」ことになります。

これは非常に大変ですが、スケジュール調整をすることで何とかこなすことは可能でしょう。

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では、その妻は?

スケジュール調整などあるはずもなく、単純に仕事が倍になります。しかも「梨園の妻」の仕事は・・・

裏方として贔屓筋を全員覚える
時節のご挨拶・舞台裏のご挨拶を完璧にこなす

といった知識も経験も無いことを追加業務としてしないといけないのです。

それでも、梨園の中に協力者がいればまだ何とかなったかもしれません。

梨園の世界は閉鎖的

梨園の世界というのは、それこそ100年以上の歴史の中で、世襲してきた方々だけで形成してきたものです。

なので、よそ者に対しては閉鎖的になりがちです。

それでも、若くして嫁いできた場合、まだ「なんやかんや」で世話をしてくれることもあるでしょう。

しかし、知子夫人は40代で、夫の香川照之さんは父と和解したとはいえ「途中からフラッときた者」(よそ者)です。

香川照之さんはそれでも俳優として有名ですし、歌舞伎役者ですから「チヤホヤ」されるでしょう。

でも、知子夫人に対してはそうならなかったようで・・・

人を紹介してくれない
挨拶が無視される
息子が酷評される

といった具体的なエピソードがあるそうです。

ある歌舞伎関係者の話によると・・・

劇場ロビーで挨拶する時、知子夫人には知らない人ばかり。でも、後ろ盾がない彼女(新参者)には誰も教えてくれない。
香川照之さんは父について回らないといけない為、知子夫人が現場を仕切らないといけないが、先輩の梨園の妻は冷ややかな態度をとる。
知子夫人が挨拶をしても、そういった方々は無視するといった状態が続いた。
伝統芸能の重鎮の一人がブログで息子の市川團子のことを「只の駄馬」と酷評した。

とおっしゃっています。

自分だけでなく、息子まで攻撃され、心が折れてしまった言われています。

義父・市川猿翁の介護

香川照之さんが1歳の時に両親が離婚した為、母・浜木綿子さんと暮らしてきました。

ところが、今回の「歴史的な和解」により、香川照之さんは父親である市川猿翁さんと同居するようになりました。

同居を始めた頃、市川猿翁さんは70代で、介護が必要なお体だったそうです。

その介護の仕事もすべて知子夫人がすることになり、非常に負担になったそうです。

そして二人はすれ違い・・・

人気俳優と歌舞伎役者の「二足の草鞋を履く」香川照之さん
「俳優の妻」と「二児の母」に加えて「梨園の妻」と「義父の介護」で精神的に疲弊しきった知子夫人

二人の時間は無くなり、お互いの事も考えられなくなっていったようです。

2014年頃には、お二人は「家庭内別居」をしていたようです。

そして、2016年には正式に離婚されました。

離婚発表の際、香川照之さんは

「私の力不足。お騒がせして申し訳ございません」

と報道陣に言いました。

「静かなるドン」のように「二足の草鞋を履く」ことは現実では難しかったようです。

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